朽ちるものの誘惑。

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ピーターグリーナウェイの「ZOO」という映画に様々な物質が朽ちてゆくコマ撮りシーンがある。
花や果実が朽ちてゆく過程に何とも形容しがたい甘美なものを感じてしまうのは、
マゾヒスティックな欲望によるものなのか。
それとも「死」の存在を客観的で叙情的なイメージとして目の当たりにする安堵感なのか。
自分自身の力では操ることの出来ない時間の経過を視認することは、
自分以外の物質の退廃を客観視できる優越感を味わうことでもある。

人間の腐敗のコマ撮りには9ヶ月を要するという。
ミイラにするにはもっと時間がかかるはずだ。
愛した者の屍を永遠に留めておきたいと思うことと、
その果てを最後まで見届けたいと思うことはとても似ているが、否なることなのだろう。
できることなら、わたしの屍もそのまま地中へ深く埋めて欲しい。
火葬という人工的な工程など不必要だ。
生きている間に冷たく湿った土の感触と、
肉食の虫たちが這い上がり微生物によって浸食される感覚をシミュレーションしておこう。
土に復る有機的な死が許されるなら、きっと安らかに違いない。

そんな想像は、暗く底のない穴へ落ちてゆく快楽にも似ている。
とはいえ、わたしもご多分に漏れず生き生きとした生命の美しさを写真に撮ってしまう。
がしかし、つまらないと感じてしまうのは貪欲だからかもしれない。





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by grovegrove | 2013-05-07 19:02
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