<   2013年 05月 ( 5 )   > この月の画像一覧

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その男は、理屈と能書きが多い。
そして、自他共に認める神経質な男である。
しかし、日常の多くは寡黙であり、覆い隠せない愛がある。

その貪欲ともいえる生体反応の顕著な活動の特徴は、
フットワークの良いシナプスの敏感さと脳内分泌物の芳醇さ。
それは決して尽きることを知らない。
その男の欲望は、何処に向かっていくのか。
もし、穏やかな人生を望むのなら、遠巻きに傍観すべきである。
そして、ほんの一瞬だけでも触ってみたい誘惑に抗わなくてはならない。
何より、その瞳を覗いてみたい衝動とは戦うべし。
気づいた瞬間、何処か知らない場所に佇んでいる自分の姿が其処に・・・。
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by grovegrove | 2013-05-15 21:06
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一日のカタログ。
洗濯とサティと
昼下がりのワイン。
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by grovegrove | 2013-05-14 16:39
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by grovegrove | 2013-05-13 20:51
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ピーターグリーナウェイの「ZOO」という映画に様々な物質が朽ちてゆくコマ撮りシーンがある。
花や果実が朽ちてゆく過程に何とも形容しがたい甘美なものを感じてしまうのは、
マゾヒスティックな欲望によるものなのか。
それとも「死」の存在を客観的で叙情的なイメージとして目の当たりにする安堵感なのか。
自分自身の力では操ることの出来ない時間の経過を視認することは、
自分以外の物質の退廃を客観視できる優越感を味わうことでもある。

人間の腐敗のコマ撮りには9ヶ月を要するという。
ミイラにするにはもっと時間がかかるはずだ。
愛した者の屍を永遠に留めておきたいと思うことと、
その果てを最後まで見届けたいと思うことはとても似ているが、否なることなのだろう。
できることなら、わたしの屍もそのまま地中へ深く埋めて欲しい。
火葬という人工的な工程など不必要だ。
生きている間に冷たく湿った土の感触と、
肉食の虫たちが這い上がり微生物によって浸食される感覚をシミュレーションしておこう。
土に復る有機的な死が許されるなら、きっと安らかに違いない。

そんな想像は、暗く底のない穴へ落ちてゆく快楽にも似ている。
とはいえ、わたしもご多分に漏れず生き生きとした生命の美しさを写真に撮ってしまう。
がしかし、つまらないと感じてしまうのは貪欲だからかもしれない。





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by grovegrove | 2013-05-07 19:02
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この2年間で生活の贅肉がなくなった。
ブランドショップへは足を踏み入れず、パンプスを履かなくなり、
タクシーには乗らず、海外旅行も減り、
高級食料品店へも滅多に行かず、高級レストランにもご無沙汰している。
それまでは、仕事とは言え、自分への投資と疑いもせず、
身に余るような贅沢をしてきたような気がする。

でも、もうその必要はないはずだ。
世の中で何を求められているのかよりも、
自分は何をしたいのかに向き合うときなのだ。

ようやく、トーキョーの片隅に佇んでいる意味がほとんどなくなりつつある。
離れがたい人が後ろ髪を引いているだけなんだと実感する。
引っ越しと同時にウォシュレットじゃないトイレと追い炊きできないお風呂に再会し、
オートロックじゃない住居なんか、簡単に受け入れられたのだ。
便利じゃなくてもいい。気に入った景色の中で暮らしてみたい。
きっと、パソコンとカメラと本があれば、生きてゆけるはずだ。


結局、藤村先生にはまったく関係ないが、
夜明け前のトーキョーを名残惜しみ、わずかな希望を抱く今日この頃なのである。
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by grovegrove | 2013-05-01 23:31
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